今の世の中、博士号を持つ人は多い。
そして、それが仇となる可能性がある。
望むような職に就けないことが多いからだ。
そこであきらめてしまった。
自分は「博士」になりたかった。
就職の際、悩みつつも「自分には無理」と
そこで線を引いてしまった。バカの壁だ。
「とてもそこまでの能力はない」と。
その考えが今、少し悔やまれる。
博士になるには資格としての博士号をとればよいのだが、
「博士」として実際に活躍するためには
大きく3つの能力が必要である、
と自分がいた研究室の「博士」は言う。
(ここでは、おもに工学博士を前提として考えている)
資格としてではなく「博士」とはどんな人か、を考えると、
その三つを持つ人のことで、科学に貢献する人。
それになりたかった。
その先輩の言っていた、三つとは何か、書こうと思う。
一つは、
「研究課題を見つけ出し、(自身で)設定する能力」
があること。(自然科学の分野において)
現在、何処までがわかっていて、
今後、どのようなことがわかればよいのか、
といった課題を的確に抽出する能力である。
これは膨大な数のジャーナル(論文誌)や情報のなかから、
的確に抽出しなければならない。
どんなに興味深い現象の研究でも、
すでに研究がなされているものは発表する価値が大幅に下がる。
最悪の場合、論文投稿すらできない。
すなわち、なんら現代科学に貢献しないことになる。
ジャーナルは毎週のように更新される。
それら全てを短時間で把握するのは、たいていの場合、困難だ。
二つ、
「実験を遂行し、出てきた結果を考え抜き、自分で筋道をたて結論する能力」
つまり「自分で道を切り開く能力」である。
自然科学の研究は当然、
目の前には何もない未開拓の領域である。
我々は日進月歩、この道なき道を進んでいかなければならない。
正しい足跡を踏み、道を創りださなくてはならない。
ある現象を発見したり、その現象について、
制御するために、理解する必要がある。
全てを矛盾なく説明するのはたいてい、困難だ。
自分は物質科学の研究室に所属していたが、
現在の物質科学で研究されている多数の物質は、
ほとんど無限に考えられる組み合わせの中で
それぞれの道が切り開かれ、次世代の物質として利用されることになる。
物質科学だけでなくあらゆる自然科学が
「博士」らの手により少しずつ少しずつ開拓されてきた。
「博士」以外にはできない仕事と考える。
三つ、
「論文を書き、プレゼン資料を作成し、それらを発表する能力」
科学技術がこの世に存在するのは、
それが概念を持ち、まとめられ、世に発表されるからである。
それにより人々は知識を得ることができる。
自分の研究成果を正確に過不足無く伝えることで、
次の研究にも繋がり、また、知名度もあがり
(研究費を取ったりして生活するためでも重要)、
それにより科学に貢献したといえるのではないだろうか。
どんなに画期的な結果がでても、それが人の、
皆の目に留まらなければ無意味になってしまう。
そして誰も知らない概念を分かりやすく、
そして過不足なく伝えることはたいてい、困難だ。
これら3つの能力をほとんど完全に習得してこそ、
「博士」たり得るのである。
それは長く険しい道である。
一般に博士課程(または博士課程後期)は3年であるが、
3年間でそれを習得するのはとても難しい。
教授が「この人ならば大丈夫」という人しか博士課程には進めない。
(基本的には。)
また、そういう、認められた人でも3年では成果がでず、
認められずに途中で断念してしまうこともあるだろう。
修士の場合はこれらの3つの能力のうちどれかひとつでも体験、
習得すれば「修士」として認められる。
昔は「博士」は博識を持っている人であるというイメージであったが
(もちろん博識であるが)、
それ以上に高い能力を持たねば「博士」として認められない。
それが資格としての博士号でもある。
博士号を持つ人々は「世界のどんなこと」にでも、
ひとたび疑問をもてば自分自身で解決できる、
まさに普通の人とは全く別格であると思う。
もちろん、自然科学の「博士」にとどまらず、
社会科学、人文科学の「博士」でも別格の能力を持つ
(と思うが…そこらへんは不明だ)。

