時は金なり
いつのまにか知っていることわざ
ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだ。
とても優しい物語。
その中に出てくる「灰色の男たち」
現代はこの「灰色の男たち」に
どうやらほとんど支配されてしまっているようだ。
それにしても自分はこの社会にものすごく閉塞感を感じてしまっている。なぜだろう。
この、「モモ」のなかのひとびとと同じようになっている気がする。
という読書感想文でした(短)。
この物語のあらすじは以下のとおり。
モモは小さな女の子で、黒いボサボサの髪、黒い大きな瞳。
数を数えることもわからず、何も知らなかったが、
「人の話を聞く」ことができた。
皆にとってなくてはならない存在になっていた。
「モモ」は親友の「ベッポじいさん」と
「観光ガイドのジジ」と時間におわれることもなく、
こののんびりとした優しい生活がいつまでも続くと思っていた。
そんなところに、灰色の男たちがあわられる。彼らは時間貯蓄銀行の一員だ。
時間の価値をはっきりと認識し、ほかの誰よりも1秒を有効に使おうとする。
どんな人達なのか。説明が難しい。
彼らはとても印象が薄く、話をしてもすぐに忘れてしまう。
ただ、感覚だけ、やたら寒かった事だけを覚えている。
彼らは決して気づかれないように気をつけている。
彼らは得意の"計算"で、次々に"時間"を貯めていった。
一度集められた時間は"灰色の時間"となり、灰色の男に利用される。
たとえば、時間を集められそうな人間を見つけ、用意周到に集めていく。
たとえば、フージー氏は床屋の主人。以下は引用。
彼は名高い理髪師というわけではりませんが、
その界隈では評判のいい床屋です。
貧乏でも、金持ちでもありません。
彼の店は市の中心部にありますが、小さい店で、
若い使用人をひとり置いていました。
…
けれどそんな評判のいいフージー氏にも、
なにもかもがつまらなく思えるときがあります。
そういうことは、だれにでもあるものです。
「おれは人生をあやまった」 とフージー氏は考えました。
「おれはなにものになれた?たかがけちな床屋じゃないか。
おれだって、もしもちゃんとしたくらしができていたら、
いまとはぜんぜんちがう人間になってたろうになあ!」
でも、このちゃんとしたくらしというのがどういうものかは、
フージー氏にははっきりしていませんでした。
なんとなくりっぱそうな生活、ぜいたくな生活、
たとえば週刊誌にのっているようなしゃれた生活、
そういうものをばくぜんと思いえがいていたにすぎません。
「だがな」と、フージー氏はゆううつな気持ちで考えました。
「そんなくらしをするには、おれの仕事じゃ時間のゆとりがなさすぎる。
ちゃんとしたくらしは、ひまのある人間じゃなきゃできないんだ。
ところがおれときたら、一生のあいだ、
はさみとおしゃべりとせっけんの泡にしばられっぱなしだ。」
そんなフージー氏のことをすぐに察知して、灰色の男はやってくる。
手際がよく、非常に効率的で無駄がなく、彼を説得してしまう。
その後、彼は好きなおしゃべりをやめ、時間を非常に気にするようになった。
一日に、何人もの髪を切った。効率的に、確実に時間を節約していった。
フージー氏が節約することで、灰色の男たちはその時間を利用できるようになる。
フージー氏のように考えない人はいないだろう。
その後、灰色の男たちは次々にその世界の人達から時間を貯蓄させ、
人びとはどんどん時間に追われるようになった。
モモの親友たちも、次々に時間を節約しだす。
しだいに人も変わってゆく。
灰色の男たちは、すべての時間を手に入れようとしだした。
灰色の男について、ゼクンドゥス (登場人物のひとり)
以下は引用。
『彼らはぬすんだ時間だけでできているんだ。』
『彼らの場合は、なにひとつのこらない。』
『人間は、灰色の時間を受け取ったら病気になる。
それも死ぬほどの病気になるのだ。』
『はじめのうちは気のつかないていどだが、
ある日きゅうに、なにもする気がしなくなってしまう。
なにについても関心がもてなくなり、なにをしてもおもしろくない。
だが、この無気力は、そのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。
日ごとに、週をかさねるごとに、ひどくなるのだ。
気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、
自分にたいしても、世の中にたいしても、不満がつのってくる。
そのうちにこういう感情さえなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。
なにもかもが灰色で、どうでもよくなり、
世の中はすっかりとおのいてしまって、
じぶんとはなんのかかわりもないと思えてくる。
怒ることもなければ、感激することもなく、
喜ぶことも悲しむこともできなくなり、
笑うことも泣くこともわすれてしまう。』
この物語の作者ミヒャエル・エンデはまるで今の時代をわかっていたかのようだ。
会社に入れば、どこを向いても効率化だし、他のものに気を使う余裕がない。
ほとんどものに対してそのお金(対価)が計算できるようになり、
全ては数値になってしまった。
時間さえも、人そのものにも、
しようと思えば計算されてしまう。
灰色の男の正体は、いろいろなものに当てはまる。
たとえば、「資本主義」だったり「効率化」だったり
「テクノロジー」だったり、「利子率」だったり。
自分には「かわいそうなサラリーマン」にしか見えない。
「モモ」の物語はその後、時間を司るゼクンドゥス(マイスター・ホラ)の力を借りて、
ハッピーエンドなのだが(詳しくは省略)、
今の自分達が住んでいるここはどうなのだろう。
「はっはー時間ピッタ…」
とそこまで厳密にやらなければいけない世の中にしかならないのか。
(Na○iTim○様申し訳ありません。)
*引用「モモ」(岩波書店)
著:ミヒャエル・エンデ
訳:大島かおり
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