2008年05月19日

インセンティブと環境問題(ただ乗りのジレンマ)

一体、日本人は生きるということを知っているのだろうか。

小学校の門をくぐってからというものは、一生懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。

その先には生活があると思うのである。

学校というものを離れて職業にありつくと、その職業を成し遂げてしまおうとする。

その先には生活があると思うのである。

そして、その先には生活がないのである。

現在は過去と未来との間に画した一線である。

その線の上に生活が無くては、生活が何処にもないのである。
森鴎外


人の行動はほとんどインセンティブにより決定される。

というより、人の行動を決定するものが「インセンティブ」である。

アメリカのある地方の保育園での実際に起こった出来事。

親は午後4時まで子どもを引き取りにこなければならない

しかし、親はしばしば遅刻する


保育士のかたは「いらぬ残業(=子どもと一緒に親御さんを待つ)」

が必要となる。

さて、経営者側としてはなるべく簡単な方法でこの問題を解決したい。

どうするか?

ある経済学者の出した答えは「罰金を取ること」。

1時間遅れるごとに100ドル取る---ことはだいぶ批判を受けることだろう。

よって20ドルくらいならば親も払えるし、しかし小さくはないお金だ。

親は払いたくないだろう。

これならば、親の遅刻は減るに違いない。罰金を遅刻の抑止力とした。

園長先生はさっそく、事の主旨と罰金を取る実施の発表をした。


さて、その後の結果は


親の遅刻は大幅に増えた。


罰金を取って抑制するつもりが、全く逆の効果を生む結果となってしまった。

何故だろうか。


(そのまま参考にしたもの;ヤバい経済学)



これが経済学でも最も重要な「インセンティブ」の効果だ。

「ヤバい経済学」の著者スティーブン・D・レヴィットはこれを3種類に大別した。

経済的インセンティブ、社会的インセンティブ、道徳的インセンティブだ。

先の例は"道徳的インセンティブ"によって遅刻する親はある程度抑えられていた。

愛する我が子を待たせ、さぞかし寂しい思いをさせてしまったなあ、

と親は少なからず思う。待たせるにしてもなるべく早く来るようにしよう!

しかし経営者がそれを"経済的インセンティブ"として抑制しようとしたため、

道徳的インセンティブがそれに置き換えられてしまった。

親は思ってしまった。

「保育園の人にとっても、子どもを1時間待たせる、

というのはお金にして20ドル程度の価値なのか」

そして親は罰金を払うことによって、その罪悪感を消そうとしたのだ。

親は保育園の課す罰金を免罪符にしてしまった。


保育園側は「インセンティブ」の利用を誤ってしまったのだ。

インセンティブは非常に強力で、時にはものすごい社会現象の引き金になる。

ちなみに、ゲーム理論で使われる数値はインセンティブである
(かどうかは専門ではないからよくわからない)。









さて、本題。

環境問題は「ただ乗りのジレンマ」である。

一言で「環境問題」とはいっても、以下のように大きく分けられる(独断と偏見)。

・エネルギー問題と地球温暖化

・食料危機と人口問題と格差の問題

・環境汚染(化学物質)

・森林伐採・生態系の破壊


ここ最近の日本でのもっぱらの関心のある話題
ガソリンの高騰・食糧価格の高騰・CCS(二酸化炭素の貯蔵・排出権)
といったところだろうか。

もちろん世界は日本の関心以上の問題が山積みである。

これら環境問題は地球に住む人間だけでなく、

全生物をプレイヤーとした壮大なゲームのなかの、「ただ乗りのジレンマ」である。


自分自身が「裏切り」行動をすれば、自分は得をする。

ただし、他の全て(=地球)が極微量、損をする。

みんなが自分の得になるような「裏切り」行動をすれば、どうなるか、

答えは想像の通りである。すでに事は起こり始めている。



「夏は暑いが、なんでエアコンを切らなければいかんのだ。

自分は体がちょっとあれだから、一人くらいはいいでしょ。」

「ゴミの分別が面倒だ。まあ業者のひとがやってくれるでしょ。それが仕事だし。」

なんていっている場合ではないのである。


何か対策はないのか。

残念ながら、この恐ろしい方向へ向かう大きな流れは、

どこかの誰かが

「一人一人が協調することが大事ですよ。だからそうしてください。」

とどんなに声をはりあげてもほとんど流れは変わらない。


それは、この環境に関するゲームが、生き残りをかけた

「進化ゲーム」の一面を持っているからである。

プレイヤーの「裏切り」行動はいわゆる"進化的に安定な戦略(ESS)"なので、

全てのプレイヤーが「協調」することはない。

ある程度の比率で必ずタカ派(=裏切り派)が存在する。

インセンティブによっては、ほとんどがタカ派となる場合もある。





環境問題のジレンマを乗り越えるためには

「インセンティブ」を非常に巧妙に変える必要がある。

それはとても難しいことなのである。

最近はテレビなどで環境破壊の番組が盛んである。環境本もよく売れている。

これは人々が道徳的インセンティブを重要視するという意味では有効であると思う。

しかし、日本人にとってマスメディアは余りに強力なものである。

過度に信じてしまう傾向があるから、必ずしもそれがいいとは…。



京都議定書における対策「排出権」。

これは先進国で人々がもつ罪悪感を消してしまわないだろうか。

アメリカはバイオエタノールでなにかしようとしたが、先の保育園の例と同様だった。

そのうち太陽発電で太陽電池を大量に作るようになるのではないか。

車も、水素燃料電池を使うものが出てくるのではないか。

しかしLCA(ライフサイクルアセスメント)としては

それがはっきりと良いものとしてとらえられるのだろうか?

それはとても難しいことなのである。
posted by フェイサン at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム理論とジレンマ関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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